1977年生まれの37才、男性で既婚。
36才で出来た子どもは今年、2014年の7月で1歳になりました。
大学を出てから働いた会社は現在で6社目
正社員は4社目ですね。
ざっとまとめると、
華麗なる職歴
赤裸々に述べます。
- 2001年 大学卒業 23歳 アルバイトを6ヶ月 大阪
- 2002年 24歳 ネットで稼いでなんとか半年暮らす
- 2003年 1社目 25歳 試用期間3ヶ月が1年近くなっても試用期間
- 2004年 2社目 27歳 東京の会社 試用期間6ヶ月満了を待たず退職
- 2005年 大阪に出戻り 倉庫のピッキングや深夜の工場で蛍光灯を転がすプロレタリアート生活
- 2006年 3社目 紹介予定派遣からはじめての正社員に 28歳
- 2008年 結婚
- 2011年 4社目 正社員 ゴリゴリのブラック企業に1ヶ月で音を上げる
- 2012年 失業保険で無職生活 35歳
- 2012年 年末 5社目 人材紹介会社を通して正社員で入社 入社と同時に出向
- 2013年7月 長男誕生 36歳
- 2013年10月 住宅ローンが申請金額どおり1,890万円で承認される
- 2013年10月 家の取り壊し準備のため荷物を運びはじめる
- 2013年12月 社長に呼び出され「残るか出向先に転籍するか選べ」と二択クイズが出題される
- 2014年4月 6社目 転職先の雇用条件が知らされないあり得ない展開に悩むも出向先の会社に移籍 正社員 37歳
- 2014年4月 ローン実行前の転職によりローン審査通過もご破算
以上です。
ポイントは大学在学中に就職活動をまったくしなかったことですね。
そして運が良かったのは、大学新卒でも正社員の職がないキビシイこのご時世に、30オーバーで転職を繰り返しながらも現在正社員として雇用されていること。
本当に感謝しています。
35歳、無職になったことを家族にも友達にも隠し、海底で空気を探して石をめくってるような生活はホントきつかった。
失業保険の支給が切れ、新聞配達アルバイトをしようとしていた矢先に拾ってもらいました。
運が良かった。
助かった。
いまでもそう思います。
拾ってもらった会社はよくある大阪の零細企業の例に漏れず、「有給休暇」の概念すらない、人をたくさん雇う体力がないからどうしても個々人の労働条件は厳しくなる「必然的ブラック企業」でした。
「会社、というか社長の個人商店」というのもありがちなパターンで、当然ワンマン社長のアクは強いと相場は決まっており、僕が働いている2年間で5人が辞めていきました。
社長と副社長を入れて6人くらいの会社なんですけどね。
気が付くと丸2年勤めた僕がいつのまにやら最古参の社員になっていたのでした。
新陳代謝がはげしい。
そして現在の会社へ
”ローン審査は通ったけどこの会社で35年ローンとか大丈夫なんかよ”
”いやいや大丈夫なわけないやろ”
”じゃあどうすんねん36で5社も6社も渡り歩いてる既婚者を誰が雇うねん”
”こんな景気の悪い大阪でなぁ”
”子どもおるんやぞ”
終わらない脳内会議が続いていた2013年の年末、転籍の話が転がり込んできたのは師匠が走りまくっている頃でした。
ポイントは「新しい会社での給料ふくめ雇用条件をいくら聞いても一切教えてくれなかった」ことですね。
”そんなもんお前が行く、って言うてからや”©社長
ってなかんじで。
おかしない?いやおかしいやろ、給料いくら貰えるかわからんのにでやって判断すんねん。
まぁ結局は目をつぶって「えいやっ」でいまの会社に入ったのですが、結果としては良かったです。
いまの会社のいいところ(イチオシポイント)
「有給」の概念があります。
「残業代」の概念があります。
「昇給」が”社長のきまぐれ”で突然きまったりしません。
日曜日家でゴロゴロしてるとき会社から「月曜までに資料をつくれ」と電話がかかってきません。
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ
それでも
「無職でニッチもサッチモいかないときに拾ってもらった」
という”恩”は強烈に感じていますので、退職しましたがお中元は送りました。
尊敬できないところが多々ある経営者たちでしたが、それはそれ。
会社なんてそんなもん、と流石のおれも百も承知です。
いまの会社に送り込んでくれましたしね。
ということで、「社会人」サイドからみる僕はこんな感じです。
いきあたりばったりですね。
赤裸々ついでに各会社でどのくらい給料もらってたかも書いてみたいと思います。
なんて露悪趣味なのでしょう。