無職生活から一転、家を建てることに

暗黒時代
2011年、5年勤めた会社を辞めました。
35歳になる3ヶ月前です。

無職生活に突入

そして転職した会社も1ヶ月半で辞め1年間の無職生活に突入します。 結婚4年目のことでした。

その後は「貯金」とはとても言えない額のお金と失業保険をたよりに暮らします。

わずかな貯金は”チュンッ”とまさに「焼け石に小銭」で一瞬のうちに蒸発し、フルで受給した失業保険もすべて食費と光熱費に消えました。

健康保険ってものすごく高いことを実感

(健康保険+年金)×ふたり分で恐ろしい金額が毎月飛んでいきます。

”会社という組織から離れる”とはどういうことか、身をもって体験したのです。

新聞配達のアルバイトを酸欠状態になった脳みそで真剣に考え始めたころ、運良く大阪の零細企業に拾ってもらい現在に至ります。

きっかけ、そしてすべては子どもが出来たこと

会社に勤めはじめて1年が経ったころ、ありがたいことに子どもが出来ました。

順調に半年が過ぎ、産まれてくる子どもの話を二人でする機会も多くなりました。

そして時折”この家では育てられへんなー”と膨張し続けるお腹をさすりながら彼女が言うようになったのです。

冬は外より寒く夏は外より暑い

8年前から、彼女のお父さんが若いころ住んでいた空家にそのまま住まわせて頂いています。
築50余年の木造平屋一戸建てです。

長い坂を登った高台にあり、当然カベには断熱材が入っていないので大阪とはいえ冬になると家の中でも息が白いです。
夜も床下から上がってくる冷気で目が覚めることがたびたびあります。

防寒のため雨戸は昼も閉めっぱなし、カーテンは2重で窓の隙間を塞いでみてもまだまだ寒い。

最終的にはホームセンターで買ってきた薄いプラスチックボードを家の外からすべての窓全体を覆うようにタッカーで打ち付けました。

逆に夏は外より暑いです。
”家の中で熱中症”が現実的な息苦しい暑さです。

6月になると大量に巣立っていく羽アリを見送りながらどんよりした気持ちになりました。

コストは低く志は高く

「獅子は可愛い我が子を千尋の谷に突き落とす」
と強がってみても、このままでは年老いていく親獅子も一緒に谷底へ落ちていくのが確実なこの状況を変えないといけません。

無職生活から2年も経たず「家を建てる」ことになったので当然お金はありません。

そんな中、まったくの知識ゼロから家が完成するまでの記録を、まずは当時を振り返りながら現在進行形で書いていきます。

この記事を書いている2014年1月現在、まだまだ築50年のお家に住まわせて頂いてます。

ひとりですけど。

コメント

  1. […] 最初の記事でも書きましたが、それでも隙間風に熱を奪われ寒いので家の外から窓全体を覆うようにプラスチックボードを打ち付けなんとかしのいでいます。 […]